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2009年10月22日 (木)

「協会周辺紹介」-土地の「気」

当協会は、芝・増上寺山門(三門)まで約100mのところにあります。日本女子会館がある緑地帯つづきには米国黒船艦隊のペリー提督胸像が建っていたり、近くには元禄時代のころの赤穂藩藩主・浅野内匠頭切腹の跡地があったり、また三田駅方向に歩いて5分のところにはあの篤姫がいた薩摩藩江戸屋敷があったりで、歴史好きにはたまらない場所です。その他、東京タワーまでは350m。窓からはそれらのほかに、六本木に林立するビルもよく見えます。手前味噌ついでに、もう一つ、お話を紹介します。

当協会は以前、六本木の生活技術研修館(現在閉鎖)の一部を事務所にしており、「農村女性のためのグリーン・ツーリズム専門家養成講座」のスクーリングを行っておりました。その時、前任者から聞いたのは、こんな話でした。

担当講師である建築家の先生が「土地には、その土地の『気』というものがある。この研修館は、女性が全国から集まって研修するのにふさわしい『気』があるところで、その『気』というのは『女性の気』である。みなさん、この六本木のこの地番には何があったかご存じですか」「ここは皇女・和宮にまつわる地ですよ」とのことでした。 

そこで、調べてみますと、武部敏夫著『人物叢書124 和宮』(昭和40年、吉川弘文館発行)によれば、夫の第14代将軍家茂の死後、5年余京都に住まわれ、すでに東京に移られていた天皇の勧めにより、明治7年7月8日に京都から東京に戻った静寛院宮(和宮親子内親王・孝明天皇の妹)が「かねて居邸として用意されてあった麻布市兵衛町の邸に入られ、この地で3年有余過ごされた」という。その「居邸」(元奥州八戸藩主南部信順遠江守の屋敷)があったところが、六本木の研修館のあった場所ようで、先生のお話は、そのことを意味しているのでした。

和宮といえば、早くに結婚を約束していた有栖川宮熾仁親王と引き離され、尊皇攘夷を旗印として倒幕をもくろむ急進派の力をそぐために行われた「公武合体」という政略の具として、徳川家に降嫁させられた幕末の悲劇のお姫様というのが巷間知られています。

当協会は、平成17年に港区芝公園にあるここ日本女子会館4階に引越しをしましたが、ここに来て職員の誰もが初めて知ったのですが、同会館((財)日本女子学習財団所有)には、増上寺の和宮のブロンズ像(遠藤幸威著『和宮-物語と史蹟をたずねて』<昭和54年、成美堂出版(株)発行に 掲載>)とそっくりの木像が金色の観音扉のある木造ケースに収納されてあったのです。その来歴にはとても興味がそそられるところです。

ちなみに、増上寺安国殿のブロンズ像は和宮の没後50回忌に慶寺円長という人が、発願人である神戸の中村直記氏の依頼を受けて制作したものといわれており、像は和宮が宮中の式日に参内される姿だそうです。

それにしても不思議なめぐり合わせです。

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